仕事柄、子供の信仰について悩んでいる人々から相談を

持ちかけられることが多いのですが、そのようなときに

耳にするお決まりのフレーズが、「本人なりに考えて

はいると思うんですけど・・・。」

ことろが、榎本神父の回答は冷たいもので、「いいえ、

あの子は考えてなどいません。感じているとか思って

いるとかの程度ではないでしょうか。

だって知識や知恵、体験といった『考えるための材料』

を十分には持ち合わせていないのですから。」
小学生はもちろんのこと、皆さんのような中高生、

あるいは大人であっても、大抵の悩みと言うものは

きちんと考えることで解決できる、

というのが私の印象です。

ただし、考えるための材料が無く方法=考え方を

知らなければ、満足のいく解答を見つけたり問題を

解決したりすることはできません。

つまり、問題解決に至るには考え方を知っていること

が必須であり、考えるためには知識と体験が不可欠。

知識や体験が足りなければ、調査・学習が必要で、

それも覚束なければ、あとは誰かの力を借りるしか

ありません。

ところで、悩むからには問題解決に至る知識や

体験が不十分なわけで「一緒に考える誰か」を

必要とするのですが、どういうわけか、

この「一緒に考えてくれる誰か」

のアドバイスを素直に聞き容れるのが難しい。

「自分で考える力が無い」からこその助け=アドバイス

なのに「自分の考えではない」という拒絶感が生まれる。

誰でもそうです。厄介ですね。
結局、自分で学び、自分で体験し、自分で様々な問題に

取り組み・・・して問題解決能力を高めていくのが一番。

ですから、しっかり勉強し、様々な活動に取り組み、

良い体験を積んでください。

ただ、「助けを受け入れる力」というのも

問題解決能力の重要な一角であることを、

決して忘れてはなりません。