能(よ)く知り、行なうは国の宝なり(道元)
向き合う
今日は聖書の言葉から…。
あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。
そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。
(ルカ福音書15:4ほか)
と、このように聖書に書いてあります。
サレジオ学院はキリスト教精神に基づいて運営されているのですから、当然、全職員が、生徒たちに対してキリストと同じように接しています。
…と言いたいところですが、現実は厳しいものです。
もしキリスト者が完全にキリストのように生きられるのであれば、マハトマ・ガンディーがキリスト者を痛烈に批判することも無かったでしょうし、マザー・テレサがあんなに多くの名言を残すことも無かったでしょう。
ほとんどのキリスト者は、今現在聖人なのではなく、聖人への道を歩み続ける、未だ不完全な存在です。
同様に、サレジオの先生方も、今完全にドン・ボスコのように生きられるわけではなく、ドン・ボスコの生き方を体現しようと努力している真っ最中なのです。
ですから、ひょっとしたら、イエスやドン・ボスコの考え方、やり方から外れたことを一所懸命にしていることがあるかも知れません。
そんな時、皆さんの力を貸してください。
あなたがもし、迷い出た羊…何らかの理由で孤独を感じているとしたら、大声で叫んでください。
もし、孤独に苦しむ人を見つけたら知らせて下さい。
誰かが迷い出てしまったとしても、いち早くそれに気づけるように先生方をバックアップしてください。
苦しみの多くは、それと向き合わないことによって、…解決を後回しにすることによって、益々大きくなっていくものです。
あなたにできることは、あなたがしてください。
榎本飛里