教皇様の言葉:主義や動機の違いを超えた善意の輪を
先日11月18日はフランシスコ教皇様が提唱している「貧しい人のための世界祈願日」でした。教皇様は私たちに世界中の貧しい人のことを思い起こすよう、また祈るよう招いておられます。
教皇様はこの日をどのように過ごすべきかを自ら身をもって示しました。彼はバチカンに貧しい人々やボランティア約3000人を招き昼食をともになさいました。また貧しい人のために無償で診察している医療機関も訪問しスタッフに感謝を表しました。
この「祈願日」の制定に限らず、フランシスコ教皇様は就任以来、ずっと環境問題、貧困問題,人権問題などに対して特に心を配り、教会の大切な使命としてこのような問題に取り組むよう繰り返し話しておられます。
「祈願日」に当たっての教皇様のメッセージの中で特に印象に残った言葉があります。それは「貧しい人の前では、だれが主導しているかは問題ではありません。」という言葉です。
貧しい人のためのアクションを起こす時「誰が主役であるか」は大切なことではありません。「主役」がいるとすればそれは貧しい人々だ、と教皇様はおっしゃいます。いろいろな人や団体がそれぞれの考え方に従って貧しい人のためにいいことをしているのだから、たとえ主義や動機が違っていても、「貧しい人のために」という一点で繋がっていればお互いに協力し、参加させていただいているという謙虚の気持ちを持つことによってもっと効果的に奉仕ができるわけです。
このように教皇様は「自分たちこそが良いことをやっている!」という独善的な考え方を諌めています。貧しい人のためになるのなら別に教会だけが主役でなく、「させていただく」立場でもいいじゃないか、こんな教皇様の懐の深さと問題に対する真剣さに打たれました。