知り合いの神父さんから「この人のことどう思う?」と尋ねられました。
一人の女性のことで、彼女は白髪でいつも上品な服を来て教会にくるそうです。ミサの時には前の方で参加し、一生懸命お祈りしたり、聖歌を歌っているそうです。ある時、隣に小さな男の子が座って、ミサの間いたずらをしたり、落ち着かない様子でした。そうしたら彼女はその男の子に対して明らかに嫌悪感を示し、あたかも犬にするように手のひらで「あっちへ行って!」という仕草もしたそうです。
「どう思います?」と聞かれたので、「それじゃミサに参加したり、祈ったりする意味がないんじゃないですか。神様は誰でもウエルカムのはずだから、ミサ中うるさいから子供を追い出そうとするのはどうかと思いますよ。」とけっこムッとして答えました。皆さんはどう思いますか?
神父さんは「自分も最初はそう思っていたんだけど、よく考えてみたら、彼女にももしかしたらいろんな事情があるのかもしれないと思ってね〜。」と浮かない顔をしていました。
それを聞いてハッとしました、自分も心の中でその女性をシッシッって追い出そうとして、同じようなことをしていたのではないかと。これって人を裁いていることじゃないかと。
彼女はもしかしたら大変な悩みがあって必死に神様にすがりたかったかも. . . 周りには子供がいないのかも. . . あるいは子供を育てることができなかったなにか事情があったのかも. . . 子供に対してトラウマがあったのかも . . . とにかくその人の状況や人生など全然知らないのに、間接的に聞いたその瞬間の様子でその女性にレッテルを貼ってしまった自分があったわけです。ある瞬間を切り取り、そこから全体を判断してしまう . . . ネット社会の弊害かもしれません。
イエス様が嫌った「人を裁く」とは、あたかも自分がその人のことを全て知っていると思い込んでしまうこと、十分知らないのに自分の判断は正しいと思い込んでしまうこと、そんな傲慢な心に根っこがあるんだと反省しました。