この前榎本神父が「正義感から人を裁いてしまう私たち」という話をしました。話を聞いていて「この話はあの人に聞かせたい」と思って、その瞬間に、それこそがまさに人を裁いていることだと反省しきり。「あいつは間違っている」と思う時、無意識にそう思う自分は素晴らしい心の持ち主だと感じているという指摘も痛いところをついているなと思いました。

なぜ人はこんなにも正義を振りかざして高揚感を味わうのでしょうか。もしや、と思いネットで「正義感」「ドーパミン」の2つのキーワードで調べたら. . . ありました!ルールを破った人を罰する時、脳の快楽中枢が刺激され、「快楽ホルモン」であるドーパミンという神経伝達物質が放出されることが脳科学の実験で分かったそうです。なるほど正義感とは「罰せられるべき」という道徳的な判断であると同時に「それすると気持ちいい」という生理現象でもあるんですね。どうりでSNSでのバッシングなどが次から次へと出てくるわけです。しかもドーパミン放出による快楽から脳はさらにその刺激を求めるという依存性があるそうですからたちが悪いですね。

正義を遂行し人を罰したいと感じる時、それは生理現象だ、と言ってしまえば身も蓋もないんですが、自分にはそのような生来の傾向があり、だからこそ「まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおがくずを取り除くことができる。(マタイ福音書7章)」とか「あなたたちの中で罪を犯したことがない人がこの女にまず石を投げなさい。(ヨハネ福音書8章)」というイエス様の言葉は人を裁いてしまいがちな自分に向けられた言葉なんだなぁと改めて反省しました。