西田幾多郎と宮沢賢治 哀しさの向こうにある希望
2学期の終業式で哲学者西田幾多郎の話をしました。哲学といえば無味乾燥なもののように感じますが、血の通った、人生の生の体験から生まれたメッセージとも言えるでしょう。
西田幾多郎が哲学を志した背景には自分の子供を含め、愛する家族との哀しい別れがありました。哀しさを通して死とは、命とは、そして自分自身とはという問いに対して自分なりの答えを見出そうとしたわけです。そうした中で彼は自分の中に自分を超えた存在、他者の存在に出会い、その出会いこそが善、善いことであるという考えに至りました。
さて宮沢賢治も哀しさを乗り越えようとした人でしょう。彼はそれを文学に昇華させました。彼は唯一の理解者であった妹トシさんとの別れを経験しています。直接には「永訣の朝」という詩にそのことが謳い込まれていますが、『銀河鉄道の夜』も実はこの別れが背景にあるそうです。でも『銀河鉄道の夜』は哀しみに沈んだ終わり方はしていません。いずれにしても宮沢賢治の作品は物悲しさの中にクリスタルのように密かに光る何かがあります。別れという暗闇の中でも、どこかに光が差している、それは未来に向けて進んでいこうとする勇気と言えるかも知れません。
西田幾多郎にしても宮沢賢治にしても哀しさを乗り越える力を与えたのは「他者」との出会いでした。「他の人のことを他人事として捉えるのではなく、自分のこととして考える」「私たちは別々ではなく実はつながっている」ことが人生を前向きに進めさせるエネルギーとなることを二人は私たちに教えているように思います。皆さんも宮沢賢治の作品をぜひあらためて読んでみてください。