「空の墓」:聖書に描かれていないイエス様の復活の瞬間

今日の「朝のはなし」もイエス様の復活についてです。イエス様の復活がなければ、イエス様の生き方や亡くなったこと、ひいてはキリスト教全体の意味がなくなってしまう、そのぐらいイエス様の復活は大切なんです!

 

でも、不思議なことにイエス様が復活した瞬間について聖書には全く書かれていません。復活は誰からも目撃されず、ひっそりと起こっていました。弟子たちが見つけたのは「空の墓」だけ。イエス様の姿はどこにもありませんでした。イエス様の遺体はどこかに行ってしまったことしか弟子たちは確認できません。ましてや復活したなんて、どこにも確証がないのです。

 

イエス様が十字架上で亡くなった顛末は大勢の人々が目撃し、それを伝えているのとは大違いです。やはり、そこにはあえて目撃者を求めない神様のある明確な狙いがあるように感じます。神様の「沈黙」とでも言いましょうか。

 

多くの人々が見守る中、華々しくイエス様が墓から出てくれば宣伝効果抜群、目の前の「事実」に対して反対者も口を塞ぐしかありません。

 

でも、神様はそれを選ばれませんでした。きっと「あなたは復活を信じますか?私は決して無理やり強制することはしませんよ。」とおっしゃっているかのようです。

 

「信じる」とは神様の「招き」と私たち一人一人の「自分なりの決断」の対話なのでしょう。

 

最後にもしペトロとヨハネが「空の墓で」今風な会話をするなら . . . なんて勝手に想像したらこんな感じですかね。

 

ヨハネ:「俺たち秒で来たのにリアタイ逃したよ」

ペトロ:「イエス様、神ムーブじゃね?」

 

無理して若者言葉を使ってみたがる校長でした〜失礼しました。

図1