始業式の話
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
ドンボスコ生誕200周年を祝うこの年を始めるにあたって
ドンボスコと共に神様のご保護と祝福を願いながら祈りましょう。
「主の祈り」
さて年末年始、皆さんはどのようなテレビ番組を見ましたか?
私はNHK大河ドラマ「花燃ゆ」がとても印象に残りました。
このドラマは幕末から明治にかけての山口県萩を舞台とする人物像を描いています。
ドラマの中での吉田松陰こと吉田寅次郎のせりふから、
二つのことを皆さんと分かち合いたいと思います。
まず一つめ。「なぜ学ぶのか?」ということです。
吉田寅次郎はこう言います。
「皆に問いたい。人はなぜ学ぶのか? 私はこう考えます。
学ぶのは知識を得るためでも職を得るためでも出世のためでもない。
人にものを教えるためでも人から尊敬されるためでもない。
己のためじゃ。己を磨くために人は学ぶんじゃ。」
熱いですね。勉強は結局自分を磨き、自分を高めるためにするものです。
勉強するためにはそういった動機が必要です。
皆さんは勉強をしたい、自分を高めたいという動機があるでしょうか?
「なぜ勉強するのか?」という問いに明確な答えがあるでしょうか?
答えが見つからなければ、まず動機を捜す旅に出る必要があるかもしれません。
あえて日常とはかけ離れたところに赴くことが必要かもしれません。
勉強法を変えないといけないかもしれません。
2つめのこと「自分を越えたものを意識する」ことです。
また寅次郎はこうも言います。
「なぜ学ぶのか? この世の中のために己がすべき事を知るために学ぶのです!
私は、この長州を…日本国を守りたい。己を磨き、この国の役に立ちたい。
そのために学びたい。まだまだ学びたい!」
ここに吉田松陰の偉大さがありますね。
学問をするのは、自分の個人的な利益ではなく、
国のために役に立ちたいという広い展望が彼にはあります。
当時の危機感が吉田松陰をして「国を守る」ことを強く意識させたのでしょう。
私たちは時代も状況も違います。
それでも「自分を越えた地平」を意識する必要があるでしょう。
私たちにとってはそれは「国際社会」かもしれません。
そしてさらにミッションスクールに通う皆さんは
「国際社会の貧しい人々、抑圧され、搾取されている人のために何かをする」という
イエス・キリストの価値観が地平としてあります。
これからは、たとえ日本国内にいても「日本の向こうにある世界」との接触は避けられないでしょう。
「世界との接触」とは、具体的には文化も言語も違う「人」とのコミュニケーションを意味します。
英語という言語ツール、
考え方の違う相手に分ってもらえるように説明できるロジックなどが求められます。
一緒に活動をしていく人間性が求められます。
そのために皆さんはいろんな教科を勉強しているわけです。
最後に。サレジオ学院に通っているということは、
外国の若者と接する機会を多く持っていることを意味しています。前にも言いました、
サレジオ学院は世界に1500以上の様々な兄弟校を持っています。
その生徒たちはドンボスコという1人の父親に結ばれている兄弟姉妹です。
1500ある学校に通う何万という生徒は皆一つのファミリーです。
今行なっているイタリア、フィリピンの学校交流が以外にも、
世界中でドンボスコの学校の生徒との交流には色んな可能性があるんですよ。
先日オーストラリアに会議で行ったとき、二つの誘いをもらってきました。
一つはメルボルンの学校の神父さんから。
「サレジオ学院と、うちの学校で交換留学しましょう」と言われました。
その学校ではすでにイタリアのサレジオの学校と交換留学をやっていてい、
具体的に4週間から6週間夏と冬の時期にそれぞれという具体的な提案まで出されました。
皆さんどうですか?
もう一つは香港の神父さんからです。
「日本のサレジオの生徒5人と香港のサレジオの高校の生徒5人が集まって、
何か交流会をしませんか。」
そこに韓国から来た神父さんもいて、
「じゃあ、韓国からも送りましょう。日本、中国、韓国でサレジオアジアサミットにしますか」と
その場のノリで話に乗ってきました。
でもこれはその場限りの話やノリだけではなく、やる気があれば本当に実現可能なプランなんです。
興味がありますか?
今年は未年、私たちは「未完」です。まだまだ発展途上です。
動機探しの旅、日常生活の向こうにある世界にふれる冒険の旅をしましょう!