『柔和によって共感を呼び起こす人 聖フランシスコ・サレジオ』
今日1月24日は聖フランシスコ・サレジオを思い起こす日です。皆さんはもちろんこの聖人が私たちの学校であるサレジオ学院、そしてドンボスコが設立した修道会、サレジオ会の名前の由来であることを知っていますね。
前にも聖フランシスコ・サレジオの話は何回かしていますが、改めて復習しましょう。聖フランシスコは16世紀スイス・ジュネーブの聖人です。当時ヨーロッパは宗教改革の嵐が吹き荒れ、カトリック、プロテスタントの対立は戦争にまで発展し、多くの人々が憎しみや不信感を募らせていました。
そんな中でも聖フランシスコ・サレジオはいたずらに対立を煽るのではなく、プロテスタントの人々に優しく穏やかに接し、またカトリックの人々に対しても真のキリスト教の精神を分かりやすく教えました。彼の存在がトリエント公会議をきっかけとして起こったカトリック側の改革路線の道筋を具体的に切り開いたわけです。
彼の精神の中心には「柔和」さがあります。そのため宗派の壁を越え多くの人々が彼の話を聞くために集まりました。彼の「柔和さ」が人々の共感を呼び起こしたわけで、聖フランシスコ・サレジオはまさに「共感の人」だと言えるでしょう。
先日、もう一人のフランシスコ、現教皇フランシスコ教皇は聖フランシスコ・サレジオの生き方の中に見られる神様のあり方を紹介していました。「神様は力や強制力で人々に正義を押し付けたりはしない。神様は愛と優しさと思いやりを持って人々を近くに引き寄せる」と。特に教皇様は神様の愛をunarmed, disarmingという単語で表現しています。「武器を持たない」という意味です。宗教的対立が暴力を生んだ16世紀に生きた聖フランシスコ・サレジオの「柔和」の精神は戦争に傷ついている現代世界に対しても時代を超えて説得力を持っていると思います。
(2022年12月28日、フランシスコ教皇一般謁見での講話参照)