赦(ゆる)されたから頑張れたペトロ
おはようございます。今日は聖書に登場する一人の人物を紹介しましょう。
彼はイエス様が捕えられたときそばにいたのですが、自分も捕まりそうなるや「私はこの人を知らない!」と言い、肝心な時にイエス様を裏切ってしました。
誰のことかわかりますか?みんな知っている人です。裏切った人はペトロです。ペトロいうと12使徒の頭。偉大な聖人ペトロも「しくじり先生」、こんな過去があったのですね。逆に言えば彼の人生裏切り者で終わってしまったわけではないということです。なぜペトロにリ・スタート、人生のパート2があったのでしょうか? 裏切り者というレッテルから立ち直るのはなかなか大変なことだと思いませんか?特に周りの人に裏切ったことが知られている場合には。
もちろん彼自身の頑張りがあったでしょうが、そのきっかけはイエス様のまなざしでした。「イエス様を知らない!」と言った直後、偶然近くを通ったイエス様と目が合ったんですね。聖書にはペトロがその場を立ち去り、激しく泣いたとあります。
そこでイエス様とペトロは言葉を交わしていません。ペトロはイエス様の眼差しに何を感じたのでしょうか?自責の念もあったでしょうが、何よりも赦しを感じたのでしょう。ペトロがまた頑張ろうと思えたのは、イエス様の眼差しに「許すよ」という言葉が響いていたのだと思います。
教会ではこのペトロを6月29日に祝います。ペトロを祝うとはイエス様の赦しを祝うということでもあります。ペトロの人生は私たちに赦すということの大きな意味を教えています。赦されたからペトロは頑張れた。「失敗してもまたやり直してごらん」というイエス様の赦し . . . それが神様の心です。みなさんもこんな赦してくださる神様に見守られているわけです。たとえ失敗しても赦してくださる神様に信頼して再び前に進みましょう。そして私たち、特に大人は、誰かの失敗を目にするとき赦してくださる神様に倣って赦す心を持つようにしましょう。