共感にいざなう<抽象化>の営み — 米津玄師さんの Lemon —
今流れている曲は米津玄師の Lemonです。皆さんも何度も聴いたことがあるでしょう。何か「別れ」を感じさせる、しかもレモンがそれと関係しているのでしょう。でも具体的な体験自体については語られていません。
「あの日の悲しみさえあの日の苦しみさえ
そのすべてを愛していた あなたとともに
胸に残り離れない 苦いレモンの匂い」
「なんか刺さる」「あ〜それ分かる〜」と共感を感じる皆さんも多いのではないでしょうか。私もその一人です。でも「この曲のどこに共感するの?」と聞かれると、それは一人ひとり違うでしょう。みんなが米津玄師さんと同じ気持ち、同じ「別れ」を共有しているわけではありません。
それでもこの歌詞が共感を誘うのはなぜか?それは歌詞が「抽象的」だからです。抽象とは、共通点を探して一つに括る、という作業です。たとえば「感情」という言葉は抽象的ですね。「喜怒哀楽」も抽象性を持った言葉です。一人ひとりの具体的感じ方、具体的気持ちには違いがあっても、それらは「感情」「喜怒哀楽」というタームで括ることができます。具体的な個々の違い、「差異」を包み込んで共感の余地を残すためには、具体的な個々の体験を超えて大きく括る、つまり抽象的な思考が関係します。
さて米津玄師さんのLEMONから話は抽象的になってしまいましたが、抽象が「共通点を探す」「共感を呼び起こす」作業だとするとこうも考えられます。
私たちはつい違いに目が行きます。そしてそこから対立が生まれます。あいつは違う、だから理解できない、だから嫌いだ . . .世界中で起こっている戦争の原因も突き詰めれば違いに我慢できないことにあるとも言えるでしょう。「なぜ対立が生じるのか?」それは共感を生み出す抽象化する努力が足りないからです。
みなさんも対立があるところ、それを乗り越えるために、共通点を探す、つまり抽象的な思考を鍛えるようにしましょう。世界に平和をもたらす一つの方法かもしれません。