故障したボイラーが教えてくれたこと
先月何と修道院のボイラーが故障してしまいました。ということは . . . お湯が出ない . . . そうです、修道院ではまるまる1ヶ月冷たい水のみの生活でした。 特にお風呂 . . . 冬なので水シャワーは無理、だから1ヶ月間風呂なし!というわけにもいかず、学校のシャワー室を使わせてもらっていました。でもですよ、朝5時半、外はまだ真っ暗な中、玄関を出て、道路を渡り、凍えながら風呂道具を持ってシャワー室に辿り着く . . . 当然シャワー室も氷室状態です。いや〜お湯が出るのが当たり前だったので本当に大変でした。でもですよ、そんな不便で辛い経験でしたが、「能登の人たちはお風呂にも入れないから」とも思っている自分もいました。被災者のことを考えればシャワーに入れることだけでも感謝、多少の不便は受け入れないといけません。
時として不便な経験は大切なことを教えてくれます。「自分は恵まれた環境にあるんだなぁ」、「嫌だけど辛い体験は人の苦しみを思いやるきっかけになるものだ」これがボイラーの一件で学んだことです。
前回の朝の話からイエス様の十字架上での苦しみと死に想いをはせる四旬節の紹介シリーズが始まりました。四旬節の努力目標「祈り」「苦しみ」「施し」の中で榎本神父が「祈り」にスポットライトが当てていました。今日はその続きということで2番目の「苦しみ」の意味についてお話ししました。世界の中で、日本の中で、そして皆さんの友達の中にも傷つき苦しんでいる人がいかもしれません。自分の日常生活の中で、不便なこと、辛いこと、思い通りにならないことがあるとき、愚痴って終わらせるのではなく、ちょっと周りに目を向けそのような人々のことに思いを馳せる、そんな機会にしてみてはいかがでしょうか。