イエス様の御心 憐れみと慈しみ
6月ももう後半です。6月はJune、語源はジュノーというというローマ神話の女神で、「若さ」を表す言葉だそうです。若者の皆さんの月ですね。
教会の暦では6月は「イエス様の御心」、イエス様の私たちの心を思い起こす月です。イエス様の心 . . . イエス様は私たちを見てどんな思いを心に浮かべているでしょうか。ミサの中ではそれは2つの言葉「憐れみ」と「慈しみ」で表現されます。
ところで「憐れみ」と「慈しみ」どう違うでしょうか?似てるけどなんとなく違うような。違いを探るためにちょっと駅のプラットフォームが場面を想像しましょう。
1つ目の場面。何やら小さい子供が転んで泣いています。お母さんも心配そうです。それを見て皆さんどう感じます?可哀想に . . . 大丈夫かな?その気持ちは「憐れみ」ではないでしょうか。「慈しみ」はちょっと違いますね。
別のところに目をやると今度は赤ちゃんがお母さんに抱っこされてニコニコ笑っていいます。お母さんも嬉しそうに赤ちゃんに話しかけています。「よしよし」。それを見て皆さんもほっこりしますよね。その気持ちは「憐れみ」と「慈しみ」どちらがピッタリします?「慈しみ」ではないでしょうか?これで「憐れみ」と「慈しみ」の違いがなんとなく分かりませんか?
「憐れみ」は誰かが辛そうにしてそれが心配な心、「慈しみ」は誰かがその人らしく輝いているのを見る時の心の動きです。イエス様は私たちに対してその時どきで「慈しみ」や「憐れみ」の気持ちで見ていらっしゃいます。
皆さんの学校生活が充実している時、勉強がうまくいっている時、部活や体育祭で思う存分楽しんでいる時、イエス様はニコニコして「あ〜頑張ってるなぁ」「うまくいっているみたいでよかった〜」と思っているでしょう。これが慈しみ。
反対に何だか勉強が捗らない時、友達とうまくいかない時、部活で負けてしまった時、イエス様は心配そうに「大丈夫?」とそっと覗き込んでいるでしょう。それが憐れみ。
みなさんが嬉しい時も辛い時もイエス様はいつもそばで見守っていてくださいます。それが「憐れみ」や「慈しみ」です。それがイエス様の御心です。