2024年度2学期始業式「学校長の話」より

サカナクション「アイデンティティ」

(作詞:山口一郎 作曲:山口一郎 編曲:サカナクション)

アイデンティティがない 生まれない らららら


アイデンティティがない 生まれない らららら



好きな服はなんですか?好きな本は?好きな食べ物は何?


そう そんな物差しを持ち合わせてる僕は凡人だ


映し鏡 ショーウインドー 隣の人と自分を見比べる


そう それが真っ当と思い込んで生きてた



どうして 今になって 今になって 

そう僕は考えたんだろう?


どうして まだ見えない 自分らしさってやつに朝は来るのか?



アイデンティティがない 生まれない らららら


アイデンティティがない 生まれない らららら

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今日のお話は「一人一人のアイデンティティに対するリスペクトの心を」というテーマで進めていきましょう。

アイデンティティとは? 

「好きなもの」? 

ファッションセンス? 

だと変わる可能性もあるから、もっと自分の核となる、確固とした変わらないもの、生涯も続いていくようなもの、信念、生き方とか?

 

自分とはどんな人か、どんな存在か、どんな特徴をもっているか、何に属しているか、そんなものがアイデンティティでしょう。

名前もそうですね。あとサレジオ生とか? 他には?

国民、国籍は自分のアイデンティティを表すものでしょう。

この前はパリオリンピック・パラリンピックがありました。

皆さんは楽しみましたか?

日本の選手を応援していた . . . 

日本の選手がメタルを取ると大喜びした . . . 

誰を応援するか、それは自分のアイデンティティがどこにあるかを表してるのではないでしょうか。

 

オリンピックは国や地域がスポーツで競う平和の祭典と言われています。

オリンピックの精神「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」。

 

国が一つになって選手を応援する…とは聞こえがいいですが、なかなか平和の祭典とはいえない場面に遭遇しましたね。勝ち負けにこだわりすぎ、国を応援するあまり、

一致より分断、

友愛より誹謗中傷が目立ったかも . . . 

 

さて国籍について考えてみましょう。国籍がアイデンティティに関係する、しかもアイデンティティの重要な部分であることは皆さんもわかると思います。

 

この写真見たことありますか?

パリ五輪のブレイキンに出場したアフガニスタン出身の女性で難民選手団のマニジャ・タラシュ(21)さんです。タラシュ選手は演技の際「アフガン女性に自由を」というスローガンが描かれた布を纏いました。

この選手の結果は?試合に負けて、後になって失格になりました。理由は?

オリンピックでは政治的メッセージを持ち込んだから。オリンピックでは政治的メッセージを発信することは禁止されているんですね。平和の祭典だから。「違いを乗り越えて」という精神に反するから。タラシュ選手のこの行為をどう思いますか?

 

そもそもタラシュ選手はどうしてこんなことをしたのでしょうか?

ちょっとここでアフタにスタンの女性に関して少し学びましょう。

イスラム原理主義組織タリバン支配下のアフガニスタンでは女性の権利がとても制限されています。女性は男性より社会的に低く扱われ、いわば男性の所有物とみなされています。

女性は顔や体を布で覆わないと公共の場に出てはいけない、遠くに一人で行けない。

女子学生の教育の機会が大幅に制限されている、

公的な場での女性の勤務や特定の職業では女性の雇用が禁止されている、

離婚や相続の権利が不平等。

女性に対する暴力や差別に対して適切に対処されていない。

など。

 

こういったことがある意味国の政策として進められています。

女性差別が国の政策なので、女性の解放を訴えることは、国政に対して異を唱える、つまり政治的メッセージになるわけです。女性の人権侵害も国の法律であれば、それに対して異を唱えることは「政治的」と見なされてします。なんとも釈然としないですね。抑圧されている女性の地位の向上、女性の人権を求めることは政治という括りで処理していいでしょうか?

 

一方こちらの写真を見てください。これは東京オリンピックの写真、女子サッカーの試合で人種差別に抗議して膝をつくことで抗議の意思を示しました。これは正式に認められていた行為で、失格などの処分はされませんでした。人種差別への抗議がオリンピックの場で示せるなら女性差別への抗議も許されていいのではと思ってしまいます。

 

タラシュ選手はアフガニスタンという祖国と自分の女性としてのあり方、どちらも自分の中に深く根差したアイデンティティですが、一方を選び、もう一方を捨てるという究極の選択を迫られました。結果彼女は祖国を離れ、難民選手団の一員となったわけです。タラシュ選手の選択がどんなに辛いものか理解できるでしょう。その辛さはタラシュ選手一人のものではなく、自分と同じような境遇の多くの女性がアフガニスタンにはいるのだということをオリンピックの場で世界に知ってもらおうとしたわけです。

 

もう一枚の写真

こちらはよく知ってますね。

イマネ・ケリフ選手、アルジェリアの女性ボクシングの選手ですね。こちらの方はマスコミ等でたくさん取り扱われたので皆さんもなんとなく知っているかと思います。ここでは誰が試合に出ることができるのか、というオリンピックの規定、各競技の規定について、あるいは遺伝子の話ではなく、ケリフ選手自身の気持ちを慮るという視点を持ちたいと思います。

まずここで「彼女」と言います。

 

彼女は生まれた時から女性として育てられました。きっと親から「女の子」として可愛がられたでしょう。女性としてのアイデンティティを持ち、女性としてトレーニングしてきました。しかし突然「お前は男だ」と言われ、しかもそのため世界中の注目を浴びたわけです。ケリフ選手はどう感じたでしょうか?私たちはまずはケリフ選手が傷ついたということを考えるべきでしょう。

 

皆さんがある日突然「お前は男じゃない」、と言われたらどう感じると思います?彼女にとって自分のアイデンティティ、ジェンダーは女性です。彼女はいわゆるトランスジェンダーではありません。

 

女性であること、男性であること、その自分のあり方の自分に対する影響を考えると、ジェンダーはかなり深い部分に根ざすアイデンティティの一つだとわかるでしょう。それが脅かされる時その人の人生は大きな危機を迎えます。

だから国籍、人種に尊敬の念を持つ、リスペクトすること、そして女性に対して、ジェンダーに対して敬意を払う、リスペクトすることは大切なことです。

 

ということで今日の話も結論になってきましたね。今日のお話は他者のアイデンティティを構築する根幹の部分に敬意を払う、それも特に、国籍、ジェンダーの部分にスポットライトを当ててみました。他者に敬意を払うこと、そして他者の国籍やジェンダーに対して、尊敬することはカトリックミッションスクールであるサレジオ学院の根幹ですね。尊敬の念を持って他者を知る努力をしましょう。

実は性教育も他者の存在のあり方に対するリスペクトからスタートするということを皆さんに知ってほしいと思います。みなさんちょっと不思議な気持ちがするかもしれませんね。みなさんが性教育という時ここからはスタートしないんでしょ?

でも性教育とは、相手を大切にし、関わり、愛すること、心の持ち方です。

どのような関わり方がその人の尊厳を大切にするだろうかということを考えること。

存在、体、気持ち、そう言ったものをかけがえのないものとして慈しむこと。

自分がその人にリスペクトを持って関わろうとするとき、具体的な関わり方が相手を大切にすることになるのか。その慮る気持ちを養うことが性教育な訳です。

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