男子は光源氏から何を学ぶべきか
男子は光源氏から何を学ぶべきか
<「心のすれ違い」を生じさせてしまう反面教師の光源氏>
(全校集会講話より)
サレジオ祭どうでしたか? 高校生ももうそろそろ次のステージへ、というところでしょうか。楽ししかったですよね〜。新しい出会いもあったでしょうか?たくさんの客さんをお迎えしてとても素晴らしい文化祭だったと思います。インスタの効果もあってかたくさんの女子高生の皆さんも来ていましたね。文化祭を通して新しいお友達も増えましたか?今年はイベント班として公式に他校の生徒さんを呼んでイベントを行っていました。来てくださった浅野、栄光、横浜女学院、横浜雙葉の生徒さん、とても楽しく過ごしていたようです。後で校長先生がたからもお礼のメールをいただきました。
さてこのところジェンダーについていろいろお話をしています。ジェンダーというものは根底に他者へのリスペクト、自分の言動は相手が「大切にされている」と感じるものでなければならないという話をしました。相手を慮ることの大切さですね。
女性を含めて他者に対して、自分の思いは伝わっているでしょうか。そもそも相手の気持ちを分かろうとしているでしょうか?思いやりのつもりで押し付けであったり、逆に自分勝手な言動で相手を振り回していることはないでしょうか。
今日は男性が女性にどのように振る舞うべきかを源氏物語の光源氏の振る舞いから学んでいきましょう。皆さんは光源氏というとどんな男性だと思いますか?今日のお話の結論から先に言いますと、光源氏は目の前にいる女性を全然理解しようとしないし、それで相手も自分も傷つけてしまうという残念なパートナーの典型だ、つまり私たちにとって反面教師だということです。こんな観点から源氏物語を読んだことがないでしょう?
皆さんも知っているように源氏物語は主人公の光源氏のたくさんの女性との関わりを描いています。光源氏は「好き者」、「をこ」、「まめびと」と様々に描かれています。光源氏はどのように女性と関わっているかを夕顔の巻から、光源氏と夕顔の逢瀬の様子を例にとってお話ししましょう。時間を少し巻き戻してストーリーを紹介しますと、「雨夜の品定め」、友人と「どんな女性が魅力的か」とたわいもないおしゃべりをして、上流貴族の光源氏は普段接点のない身分の低い女性に興味を持ちます。ある時見窄らしい家に住む神秘的な女性を見出し、興味を持ちます。おっとりとした内気で頼りなげだけれども素性の知れぬこの女性に、光源氏は身分を隠したまま関係を持つようになります。さて以下はその女性の家で一夜を過ごした翌朝の情景です。
おのがじしの営みに、起き出でてそそめき騒ぐもほどなきを、女いと恥づかしく思ひたり。 . . . されど、. . . またなくらうがわしき隣の用意なさを、いかなることとも聞き知りたるさまならねば、なかなか恥ぢかかやかんよりは罪ゆるされてぞ見えける。
早朝の下町の家々の騒々しい声が筒抜けのみすぼらしい家のことを女(夕顔)は本当に恥ずかしく思っている。しかし(源氏は夕顔が)隣から聞こえてくるざわめきが何のことやら分かっていないといった様子なので、かえって顔を赤らめたりするより女として難がないと思われるのだった。
日本古典文学全集『源氏物語 ① 』156p (小学館 1994年)
二人の様子をまとめてみましょう。
夕顔:自分の身分の低さ、住まいのみすぼらしさを恥じるが、内心を隠している
源氏:夕顔の本当の思いに気づかず、表情からあどけなく愛おしいと勝手に思い込んでいる
二人の間には「すれ違い」があることがわかります。それをまとめてみましょう。
二人の心のすれ違い:夕顔に夢中になっている源氏は彼女の本当の気持ちを推しはかることができない
源氏のこの態度から私たち男子が学べることはこうでしょう。
→慮るとは、自分目線ではなく、よくよく相手のことを考えてその気持ちを汲み取ろうとすること
この後の出来事からもう一箇所紹介しましょう。翌日夕顔をとある廃院に誘って時を過ごした夕方の情景です。
たとへなく静かなる夕べの空をながめたまいて、奥の方は暗うものむつかしと、女は思ひたれば、端の簾を上げて添い臥したまへり。夕映えを見かはして、女もかかるありさまを思ひの外にあやしき心地はしながら、よろづの嘆き忘れてすこしうちとけゆく気色いとらうたし。つと御かたはらに添い暮らして、物をいと恐ろしと思ひたるさま若う心苦しき。格子とく下ろしたまひて、大殿油まいらせて、「なごりなくなりにたる御ありさまにて、なほ心の中の隔て残したまへるなむつらき」と怨みたまふ。
(源氏は)夕べの空をお眺めになって、(夕顔は)<奥の方は暗くて気味が悪い>と思っている。(源氏は)すだれを上げて横になっていらっしゃる。薄明かりに浮かぶお互いの顔を見交わしていると、(夕顔は)身分の違いなど色々な悩みもあり、ことの展開に気持ちがついていかないが、(源氏は夕顔が)打ち解けてくれるようになったのでかわいい。(夕顔が)不安げにしている様子も子供っぽくていじらしい。(源氏は)格子を降ろし灯をつけさせ、「深い中になったのに心の中にまだ引っかかっているものがあるようで残念だよ」と恨み言をおっしゃる。
日本古典文学全集『源氏物語 ① 』163P(小学館 1994年)
二人の状況をまとめるとこうなるでしょう。
夕顔:廃院の薄暗さ、源氏との関係、自分の行く末、全てが空恐ろしく居心地が悪い。でもこの薄気味悪さの中で頼るのは源氏しかいない
源氏:自分の素性を明かしたし、一緒に時も過ごしたからか、少し心を開いてくれるようになって可愛いと思っているが、一方なぜもっと打ち解けてくれないのかと不満に思っている
先ほどと同じように二人の思いの「すれ違い」をまとめましょう。
二人の心のすれ違い:心惹かれるも落ちぶれてしまった身分故に相応しくないと思い、光源氏への不信感も相まって心を開くことのできない夕顔の気持ちを汲めない源氏
光源氏は夕顔の深い不安を汲み取れず、単に暗がりに怖がっている、という印象しか持っていないわけですね。
ここから僕たちはどうすればいいのでしょう?
→自分としては誠実に愛情を示したのに、相手が「打ち解けて」くれないと感じるとき、自分の「寂しさ」ではなく相手の「寂しさ」に向き合うこと
自分の感じ方や思いと相手の感じ方、思いは違っている場合があります。もしかするとその方が多いのかもしれません。ですから自分のペースやイメージでなく、ちゃんと僅かに見える相手の様子から察したり、「どうなの?」と聞くことが大切だと思います。
とはいえ当時光源氏は17才、高校生の皆さんと同年齢ですから、「若気の至り」ということかもしれませんが、皆さんも相手を慮るという点で光源氏から学べるところがあったのではないでしょうか。
ここで少し文法的なことに触れさせてください。源氏物語では主語が出てきません。それで誰の言動かを理解するために、敬語表現などに注目することが大切になってくるというのは皆さんよく知っていますね。敬語、例えば「たまふ」などがつくとその文は語り手より身分の高い高貴な人が主語なんだなと分かります。先ほどの文章では「たまふ」がつけば光源氏、なければ夕顔と大体区別が付きます。
では真ん中ぐらいの「いとらうたし」(可愛い)「若う心苦し」(子供っぽくていじらしい/痛々しい)という言葉に注目してください。この「らうたし」「心苦し」と感じ語っている人は誰でしょう?前後関係から光源氏の思いですが、問題はそれを語っている人は誰か?ということです。地の文の続きですからまずは「語り手」のナレーションと思いますよね。源氏物語では地の文で「語り手」は状況説明だけでなく、「ひょっこりはん」のように急に姿を表して自分の意見を語り始めることがあります。なので前からの流れで「いとろうたし」、「若う心苦し」と語り手が三人称的に自分の印象を語っていると考えるのが自然です。でもそれじゃなんか距離感があってドラマチックでないですね。逆に光源氏自身が一人称的に自分の口で「らうたし」「若う心苦し(き)」と言っていると読むならどうでしょう。ずっと臨場感があると思いません?地の文の途中から急に登場人物の生の声にドーンとなだれ込んでいく . . .でもそうすると文の途中で主語というか視点が変わってしまう. . . どちらを取りますか?
研究者の中には、これは二者択一ではなく、三人称の語り手の声と一人称の光源氏の声が二重に聞こえる部分、あるいは語り手が光源氏が一体化して語っていると説明する人もいます。光源氏の思いを語る彼の声を聞き、読者はあたかも自分もそこで源氏と夕顔の逢瀬を見聞きしているような錯覚を覚えるじゃないですか。作者紫式部は確信犯的に語り手が光源氏の内面を自分で語らせることを通して逆に夕顔に対する光源氏のダメダメさの本質を露呈させているというカラクリがあるんじゃないかなと思います。
さて夕顔はこの後どうなるのでしょうか? 光源氏と幸せになるのでしょうか? この後の展開を知るとどうして夕顔が何だか分からない恐怖心を抱いていたかが分かるですが、それは皆さん各自で夕顔の巻を読んでみてください。
このように文法的な理解と同時に「誰が語っているのか」、「視点はどこか」「物語全体を統括している作者の意図は?」など「テクスト分析」してみるのもなかなか面白くありませんか? いずれにしてもこの千年間人々に愛された源氏物語、なかなか味わい深く興味は尽きません。
今日は男性として他者にどう関わるべきか?光源氏の女性に対する関わりを語るこの夕顔の箇所から、僕たち男性が学べることが大きいのではないでしょうか。光源氏は相手の表情から勝手に思い込みをしてたけど、全然夕顔の気持ちに触れることがなかったというお話です。皆さんの何かのお役に立てればと思っています。
参考文献:
日本古典文学全集『源氏物語 ① 』 (小学館 1994年)
榎本正純編著『源氏物語の草子地 諸註と研究』(笠間書院 1982年)
斉藤昭子「語りの亀裂へ、出会い損なわれたものへ」(『日本文学 第64巻8号』 2015年 pp.32-41)
富澤萌未「形容詞から考える『源氏物語』の語り」(『学習院大学人人文科学研究所 人文 第18号 2020年3月 pp.182-192)
三谷邦明『源氏物語の<語り>と<言説>』 (有精堂 1994年)
大和和紀『源氏物語あさきゆめみし 第1巻』 (講談社コミックミミ 1990年)