終業式の話
終業式の話
一つ詩の前半を紹介しましょう。
「朝焼小焼だ 大漁だ 大羽いわしの大漁だ」
さてこの詩の後半はどう展開するでしょうか?実はこうなります。
「浜はまつりのようだけど海のなかでは何万のいわしのとむらいするだろう」
金子みすゞさんの『大漁』という詩です。前半は人間の視点、後半は魚の視点から。普通人間の営みとしての漁業しか考えませんが、実は魚の視点から漁業を見ることもできますね。魚の視点からするとお友達や家族との別れでしかない . . . 岸壁からの視点、普段見える部分の向こう側にも世界はあり、それに気づくと現実はまた違って見えてくる . . . この詩はそんなことに気付かせてくれます。
次にイエス様の眼差しを紹介しましょう。この箇所の情景はこんな感じです。場所はエルサレムの神殿、多くの人がお賽銭をあげている . . . 皆さんがその場にいるとしたらどこに目が行きますか?お札が飛び交っているシーンでしょうか。そこに一人の貧しい女性が来て、ほんのわずかなお金を賽銭箱に投げ入れたら、皆さんはどう思いますか?そもそも気付かないのでは?
イエス様の言葉はこうです。「この貧しいやもめは、誰よりもたくさん入れた。あの金持ちたちは皆、有り余る中から献金したが、この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」この女性が一番多く入れた。なぜそう言えるのでしょうか?女性が入れた金額はレプドン銅貨2枚、今だと20円くらい。当時の日雇い労働者のその日の給与全部です。つまりレプドン銅貨2枚を賽銭箱に入れたということは、その人のその日の全財産を神様に捧げたという意味です。イエス様は、この女性の行為の中に神様への全幅の信頼を見て取ったわけです。目の前で繰り広げられていることからわずかに見える一人一人の心に気づき、感じる、この視点を大切にしたいと思います。
さて日常生活の狭い範囲の向こうには日本という社会、アジア、そして地球という普段見えない世界が存在します。1学期にはそのな世界に接する機会がいくつかありました。一つは熊本マリスト学園への地震支援募金です。谷副校長先生は以前宮崎の兄弟校日向学院の校長先生をしていた関係で熊本マリスト学園の先生方のこともよく知っていて、震災直後からとても心配しなんとか連絡を取ってくださいました。マリスト学園の先生方は自分たちに大きな被害を被ったにも関わらず、生徒に日常の生活を取り戻してほしいと願い、学校の環境整備を整え、再開を目指して校長先生をはじめ教職員の方々が学内に宿泊し、がれきの撤去、清掃をしたそうです。谷神父様が久しぶりに会った時、校長先生は「うちの家が倒れちゃってね。わが身に降りかかって、その大変さを実感しました。地震直後、同じカトリック学校から見舞いの電話をいただき、更に自分の事のように考えて行動してくれていることに感謝しています。マリスト学園が完全な形になるのに、あと二年くらいはかかりますが、頑張っていきたいと思います」とおっしゃっていたそうです。また姉妹校からの短期留学生との交流の機会がありました。高校1年生、2年生を中心にフィリピン、オーストラリアの短期留学生を迎えて授業を一緒にしたり、部活を一緒にしたりして、英語や文化にふれることができたのではないでしょうか。彼らも日本語、日本の文化、日本の学校生活の様子を知ることができたと思います。
さてこれから始まる夏休みも普段見えない世界に触れる機会がたくさんあります。その中でのカト研の企画を紹介します。毎月「お米一合の日」がありますが、皆さんはそのお米がどのように使われているか知っていますか?このお米は静岡県にある浜松教会に行きます。どのようにそのお米が使われているか普段は見えないでしょうから、カト研では実際お米がどのように活用されているかを自分の目で確かめる旅を準備しています。というわけで「お米一合の日」の延長で浜松教会でのボランティア活動の募集です。現地で炊き出しの活動など参加してみてはいかがでしょうか。もう一つ。兄弟校日向学院がアジア・ハイスクール・サミットという行事を企画しています。インド、タイ、中国から学生が日本に来て日本の学生と交流するというものですが、本校には8月8/3~5の日程で来校し、夜はサビオ館に宿泊します。また8月4日の一泊でホームステイも希望があるそうです。もし皆さんの家庭で受け入れの可能性があれば私まで連絡をください。さぁ夏休み、普段できないことにチャレンジしてみてください!
それでは皆さんが無事に過ごせるよう祈りたいと思います。