「一期一会」を広めた人は誰?
世の中はチョコレートで浮かれている中、少しかたい話をしましょう。
剣道部部員をはじめ皆さんどこかで「一期一会」という言葉を聞いたことがあると思います。茶道の教えで「たとえ同じ顔ぶれで何回も茶会を開いたとしても、この茶会は決して繰り返すことができないと思えば、それは一生に一度の会である。そう思うと互いにいい加減に扱うこともできないし、真剣な気持ちで一服のお茶をいただくことになる」というような意味です。現在ではここから人生訓として広く使われるようになりました。
さてこの有名な「一期一会」ですが誰がこの言葉を広めたか知っていますか。今日はその人のことをお話しします。
彼は近江彦根藩藩主の14番目の子供として生まれ、家を継ぐこともなく世捨て人のように部屋住みとして屋敷で過ごしていました。そこで文学や武道などの修養を積み、中でも茶道には熱心に取り組んでいました。彼は一つの派を立ち上げ、独自の茶の湯の世界を開いていきました。
しかしその後ひょんなことから彼は三十才の時家を継ぐことになり、のちには幕府の要職に就くことになりました。時は幕末、鎖国か開国かで大きく日本中が割れる中、彼は強硬に自分の路線を貫きました。
しかし彼の死は突然訪れます。彼が藩邸を出て江戸城に向う途中、刺客に襲わてしまうのです。安政7年1860年3月3日、場所は雪の降りしきる桜田門の外だったそうです。もう誰だかわかりますね。
今日はちょっと一期一会にまつわる話をしてみました。皆さんが今日口に入れるチョコレートの味もしっかりと味わってください。そのチョコは一期一会の二度と味わえないチョコレートかもしれませんね。