新入生の皆さん入学おめでとうございます。保護者の皆様にはご子息の入学心よりお祝い申し上げます。
  
中学1年生はサレジオ学院に入学するためにたくさん努力をし、多くのものを犠牲にして勉強し今日の日を迎えたことでしょう。高校1年生の皆さんもこれまで3年間の積み重ねがあって今日の日を迎えました。これまでの日々があって今皆さんはここにいるわけです。
   
しかし同時に合格、入学という事実には成績、点数といった目に見える部分ではない側面もあります。よく「おかげさまで」「ご縁があって」と言います。私たちはそれを「神様の眼差し」と表現します。サレジオの創立者ヨハネ・ボスコは「サレジオの学校に入学する生徒一人一人はマリア様の特別な導きのもとにやってくる」と言っています。つまり皆さん一人一人はマリア様から特別に愛されているということです。
  
神様の眼差しは普段感じたり、見えたり、手に触れることはできませんね。でも神様は皆さん一人一人のことを心にとめ、その成長を楽しみにしています。また一人一人の将来の使命をも思い描いている、これを私たちは信じています。
   
まだまだ緊張していることと思いますが、すぐ慣れます。安心してください。みなさんが安心して学校生活を送れるように、先生たちは皆さんと一緒に歩んできます。

  
一つ聖書の言葉を読んでみましょう。コリント前書13章です。この箇所は「愛」について語られています。いきなり「愛」ですか?って思いますか?男子校で「愛」という言葉が出てくるとは思わなかったでしょうね。まぁとりあえず読んでみましょう。
  

「愛は忍耐強い、愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めない。いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。全てを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」
  

この「愛」という言葉、ギリシャ語では「アガペ」という特別な言葉が使われています。だから普通の意味での「愛」ではないと思ってください。しかも内容はそんなに甘いものでもロマンチックなものでもないですね。この神様の愛を実現するのがミッションスクールです。でも誰が?もちろん私たち一人一人です。学校が一つの家族となって、居心地のよい場所となるためには私たち一人一人が神様の愛を実現する人にならなければなりません。ですから際ほどの聖書の「愛」を” I “に、つまり「私」に変えて読んでいましょう。
  

私は忍耐強い、私は情け深い。私はねたまない。私は自慢せず、私は高ぶらない。私は礼を失せず、私は自分の利益を求めない。私はいらだたず、恨みを抱かない。私は不義を喜ばず、真実を喜ぶ。私は全てを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。私の愛は決して滅びない。
  

どうですか?「私がする」となるとチャレンジでしょ?神様が求めている「愛」を実行するのはこの「私」です。一人一人の「私」がイエス様からこのように招かれています。チャレンジだけれども、サレジオが一つの家庭になるためには、サレジオがみんなにとって居心地のいい、そして一人一人が自分の持っている能力を開花させるためにはこの努力が必要です。
  
イエス様の望む、そしてドンボスコの望む学校になるために。一緒にone big family であるサレジオを作っていきましょう!